素朴な美しさに温もりが感じられるギターをつくる
ギター・ルシアー(弦楽器職人)である山根淳志さんは、楽器製作者の鷲見英一氏に師事し、2009年に独立。11年前に現在地に工房を移転、スチール弦・ナイロン弦のギターを『ヤマネギターズ』として完全ハンドメイドで製作している。ギターは東京3店舗・大阪1店舗で取り扱いがあり、愛用者はセミプロや愛好家が多いという。
山根さんがこの道に進んだきっかけは、大学時代の就職活動でのこと。大学ではフォークソングのギター経験があり、音楽・楽器に携わる仕事に就きたいと楽器メーカーの門を叩いた。しかし思いは叶わなかった。
その頃、手にした雑誌にギター製作の記事があった。「これだ!」ギターづくりは全工程を1人でこなすことができ、扱う素材が木であることも魅力だった。その後ギター修理・製作の専門学校に2年間通い卒業後、クォリティーの高い作品で国内外から高い評価を得ている鷲見氏の下で、6年9か月見習いとして腕を磨く。
当時ブームだったウクレレも数多く手掛けてきたが、近年はギター(フォーク、クラシック)だけを製作している。オーダーは、量産型には少ない、ネックの幅や厚み、ボディーの型など、発注者自身に合ったデザインが多いという。
「優美な外観、使いやすさ、芯があり優しい音色になるように心がけています。昔の名器と呼ばれているものが理想で、ものとしての温もりが感じられるところを目指しています。」と山根さん。
昨年、アコースティック・ギター・マガジン9月号Vol.105内の特集記事で、君島大空氏(ギタリスト・シンガーソングライター/卓越したギターテクニックで高く評価されている)が山根さんのギターを試奏した感想を『泣いちゃいそうになる音です。音に説得力がある』と語っていた。「この言葉をいただけて、実に嬉しかったです。製作者として励みになります。」プロからの絶賛の言葉は山根さんに力をくれたようだ。
さらに、ギター演奏の腕を磨くことにも余念がない。十数年間通っていたギター教室(太田市)の講師が、同工房に来て教室を開いてくれることになった。「お客様から弾いてほしいと言われたとき、美しい音で弾きたいですから。練習を重ねて上達が感じられたときは嬉しいですね。」
ギター製作は緻密な作業の積み重ね、手間を惜しまず丁寧に作り込まれた唯一無二の『ヤマネギターズ』。
これからも、そのギターを手にした人たちを魅了し続けるのだろう。
オリジナリティを求め、進化を止めない
足利市にしもつけ窯を開窯して、昨年40周年を迎えた陶芸家・金田晃さん。その作風は時として、長年の金田ファンも驚くほど、姿を変えることがある。それほどに進化し続けているということでもある。
幼少の頃からものづくりが好きで、二十歳の頃までは画家、漆芸作家、竹細工作家、陶芸家など様々な芸術・工芸の道を悩んだという。その頃、出会った運命の作品が、東京国立博物館で展示されていた本阿弥光悦の国宝《不二山》(楽焼白片身変茶碗)である。この茶碗によって焼物の凄さ面白さを知り、一から焼物を学ぶため
陶芸家への弟子入りを決心した。
日本中に陶芸家に弟子入り志願の手紙を出した。その中には憧れの加守田章二氏もおり、手紙の返事に「君が作家になりたいなら私のところではない、今から作家である。職人になりたいのならそれも私のところではなく、職人養成所に行きなさい。」とあった。これには「なるほど!」と感嘆したという。とはいえ、弟子入りを諦めず、益子の小笠原再二氏に師事することとなった。
2年の修業の後、1年ほど窯を借りて作品を作るもそのままの独立には不安があり、知人を頼って京都へ向かい、近藤清泉氏に5年ほど師事。京都には日本中から陶芸の技が集まっており、染付の専門家などレベルの高い職人の技を見ることができた。
近藤氏の下では食器などだけでなく、前衛的な作品にも触れることができた。当時京都では『走泥社(そうでいしゃ)』という前衛的な作品を作陶するグループが活動していた。金田さんもこの作風には強く興味を惹かれた。こういった作品に取り組むことで、通常の作品にも必ずプラスになると近藤氏も勧めてくれた。
1985年金田さんは独立を決め、足利市に帰郷。ここに『しもつけ窯』を開窯する。以後40年この地で作陶を続けている。1999年には『しもつけ陶芸倶楽部』を開設。現在は陶芸を趣味とする35名の生徒が教室に通っている。
金田さんは自身の作品について「どこかにオリジナリティーが隠れている、そんな作品をつくり続けています。窯の中にはテストピースを入れ、次の作品につながる物を絶えず探しています。今も青銅色の釉薬と真っ黒な土の組み合わせを試しています。これらのテストピースから、面白いと思われる何かを見つけるのです。」独特のラインやフォルム・色合いなど、作品には必ず金田さんの新しいピースが見つかる。
恐竜の作陶は、本当に作りたい作品のスタート
ピンクの花柄のティラノサウルス。正面から見た顔がなんとも愛くるしい。陶芸家 筒井童太さんの作品からは、人の心を和ませる不思議な力を感じる。
小学5年の筒井少年は、渋谷の陶芸教室に通い好きな粘土に没頭。この頃から陶芸家を目指していたという
進学した高校は、授業に陶芸を取り入れており、さらに大学で本格的に陶芸に取り組む。
大学卒業後、米国の陶芸家 ジェフ・シャピロ氏に師事し、トータルで3年ほど活動する。帰国後は5年間、備前焼で知られる陶芸家 隠崎隆一氏の下で弟子となり、薪窯で火の扱いなどを学ぶ。
独立に際し、東京都出身の筒井さんは、知人の実家であった家を借り、佐野市飛駒町に移住し、近くに薪窯を築窯。現在の創作活動をスタートさせた。
一般的な電気やガスの窯と薪窯の違いは“火”。筒井さんは、弟子入りをして学んだ火の扱いに魅力を感じているという。薪を燃料とした火をうまく扱うためには、薪の養生から手をかけ、自然のご機嫌をとり、いうことをきいてもらう。
筒井さんの作品は「立体のキャンバスを窯に入れ、火に絵を描いてもらう」のだという。火の流れによって線がつくられ、どういった線を描くかは、火を操ることで可能になる。
この技術で作られた作品の多くが動物であり、その代表作が“恐竜”。動物好きであることが第一の理由。そして手にとってもらう仕掛けとして、抽象形態にウサギの耳や象の鼻のように、動物のシンボリックな要素を加え、親しみやすい形につなげる。それは作りたい欲求と、手にとってもらう、どちらも満たされることになる。
さらに「恐竜は化石が実在することで、形を作る上である程度の制約を受けますが、そこに自分なりのイマジネーションを加えることができる。そこが面白く、私のやりたいことや作りたい物の原点になっています。他の陶芸家の方々と方向性は違うかもしれませんが、陶芸を始めた頃から作りたかった恐竜で、自分の技術や完成度の高さを世の中に問いたい。」と筒井さん。作品がまとう優しさの謎が解けた気がする。
本建て正藍染のもつ本物の力を広く伝えたい
デニムのデザイナーとしてより良いものを追求したとき、たどり着いた本建て正藍染。「着る薬」と言われる藍染。その力の研究に取り組み、本建て正藍染を根付かせる活動をしている、染色(正藍染)・デニムのデザイナーの齋藤陽さん。電子出版やペーパーバックの発信、藍建ての講習会を行うため、現在、足利市内に新工房の準備を進めている。
齋藤さんが高校生の頃、足利市にはファッション関連の店舗が多く存在し、中でも古着屋にはよく足を運んでいたという。「当時からヴィンテージ・デニムの魅力に夢中になっていました。着用していた人の個性が現れたデニムには同じものが二つと無い、そこに強く惹かれていました。」と齋藤さん。
文化服装学院卒業後は、東京で10年、名古屋で1年半ほど、アパレルメーカーでデニムのデザイナーとして勤務。一身上の都合で、2015年に足利市にUターンすることになった。ネットの普及で地方であっても仕事の継続は可能。さらにデニムの探求過程で、日本古来からの堅牢な藍染を知り、経験してみたいと工房を探した。程なく、佐野市の藍染工房『紺邑(こんゆう)』(故大川公一代表)を見つけ、同工房の講習会に参加し『本建て正藍染』と出会うことになる。
藍染には6000年の歴史があり、抗菌作用・紫外線を防ぐ効果・赤外線効果による血流の促進・アレルギーの抑制などが期待できることから「着る薬」とも言われている。天然素材で作られた藍染は、そのボロを絵の具として使うことができる。江戸時代、葛飾北斎も自身の作品で藍の絵の具を使用しており、著書の『絵本彩色通』では藍染のボロを絵の具にする方法を公開している。また廃液を作物に散布し、虫除けとしても用いられている。
齋藤さんが取り組んでいる『本建て正藍染』は、すくも(蓼藍の葉を発酵させて作る天然藍染料)と木灰から取った灰汁のみで発酵させ建てる(染め液を作る)、日本古来の正藍染である。
「藍染の素晴らしさは、色落ちし難く、繊維をコーティングして太く丈夫にするところにあります。アパレルはリサイクル率が低いと言われていますが、藍染によってアップサイクルを進めたいと考えています。」
齋藤さんの追求する、いつまでも変わらず機能的な美しさを持つ、もの作りの世界に期待が高まる。
料理を盛ったときに美味しく見える器を
まちの中心から少し離れた大型商業施設近くのアトリエ。南向きの窓際に、ロクロが3台、そのうちの1台にすわり、手元の回転する粘土に集中している。これからどんな作品を生み出そうとしているのだろうか。
柳川さんが焼き物に興味をもったのは社会人になって3年目くらいのころ、東京で家具関係の仕事をしていた時だった。ひとつの作品をゼロから作り出すことに興味が沸き、知識もないまま会社を辞め、京都の陶芸の専門学校へ入校。一から焼き物を勉強した。卒業後は専門学校時代の恩師の紹介で、京都の鴨川の源流域に工房を構える村田森氏に弟子入りした。家族の応援もあってそれから3年半ほどして故郷の足利で独立、それがこのアトリエである。
柳川さんが生み出す皿や器は白磁に染付というのが特徴。作品を見て「品を感じる」という人が多い。柳川さんが心掛けているのは、日常使いできる器。汚れがつきづらく、そして耐久性にすぐれたもの。「料理を盛ったときに料理が引立ち、おいしく見えるような、そんな器を作っていきたい」という。柳川さんの思いに共感して使ってくれる飲食店も年ごとに増えてきているそうだ。
最近は、古いモノを見たり触れたりすると、その制作の過程が理解できるようになったという。「時には先人の作品の写しを作ったりすることもあります。決してマネではなく―」とも。
独立して12年、今は年に数回の個展や大きなクラフト関係のイベントに参加している。
そうすることで「全国のギャラリーや画廊、デパートさんとも取引できるようになりました。また多くの作家やお客様とも出会える。それが励みになる」そうだ。
今後については「今は特別なことは考えていない。まずはひとつひとつ、仕事をこなしていくことが一番」と話す。
その素材ならではの表現を追求しています
主な素材として使っているのは「アートクレイシルバー」という銀粘土。純銀の粉末と水とバインダー(結合材)から成る粘土状の銀素材だ。銀粘土を使った作品づくりを続けて25年以上になる緑川さんが作り出すアクセサリーは、その素材の特徴を生かした造形力とデザイン性の高さで老若男女から親しまれ、身に着ける人の個性を演出している。
美大を卒業して就職したのが銀粘土を開発し製造販売している会社だった。新しい素材である銀粘土を全国に普及するため、販売店での実演やサンプルづくり、講師の育成が緑川さんの主な仕事だった。「もともと大学では陶芸を専攻していたので、銀粘土という素材が性に合っていたのかもしれない。」粘土細工のようにイメージをすぐに形にでき、焼成→研磨することでピカピカと輝く硬い純銀の金属になるというその素材に緑川さん自身が惹かれていった。
父が亡くなったのを機に会社を辞め、2001年に帰郷。実家に戻っても銀粘土を使った作品づくりは続けたいと思っていたので、間もなく実家にアトリエを構え、作品づくりを始めた。最初のころは予備校時代の仲間たちのグループ展に参加して展示・販売を重ねてきたのだが、そのころは展示や梱包の仕方も、さらには値段の設定も分からず、手探り状態だったという。
そんな緑川さんの作品はカエルやハエ、トンボなど、身近な生きものをモチーフにしたリアルでマニアックなものから抽象的でシンプルな形態のものまで幅広い。いずれにしても作品からどこか生きものっぽさを感じるのは「いきもの好き」を明言する緑川さんから生み出されるものならではなのかもしれない。
独立以来ほぼ毎回出品している「銀粘土でつくるシルバーアクセサリーコンテスト国際展」では、これまでにグランプリを受賞(準グランプリや特別賞は複数回)しており、その技術とデザイン力は高く評価されている。「これからも、自分が納得できる作品づくりを続けていく」緑川さんである。
まずは、手に取って見てもらえるのがうれしい
昔は大抵の家庭で使われていた漆塗の食器、たとえばお椀や重箱、お盆など。最近では人びとの生活スタイルの変化にともない、台所での存在がうすくなってきている。それでも漆器が放つマット系の艶やシンプルな形に魅せられ、コレクションとしてではなく、日常使いの食器として求める人が多い。
埼玉県出身の窪田さんが工芸の世界を目指す切っ掛けとなったのは、グラフィックデザインを学んでいた大学生のときの講師の木漆家との出会いだった。デザインよりもモノづくりに関心が深くなっていた窪田さんは講師にそのことを伝えると、卒業と同時に弟子入りすることを許可してくれた。
群馬県藤岡市の山間の師の工房での最初の2年間は、木工の仕事が主、その後の2年間で塗を学んだ。初めは木地に生漆をすり込み、それが乾く前に拭き取る“拭き漆”という木地の木目を生かす手法。もうひとつの方法の“本塗り”は下地、中塗り、上塗りとあって、漆を10数回塗り重ねることによって黒や朱の鮮やかな色合いと深い艶が出てくる技法である。現在は後者を主としている。その4年間で“木と漆”の魅力と奥深さを改めて感じ今に至るという。
窪田さんが独立したのは4年後。群馬県の妙義山麓に最初の工房を構えた。それからほどなく、縁あって足利学校の近くに移転した。石畳通りに面した工房は表側をギャラリーとして改装、窪田さんの作品(お椀や皿、お盆など)や窪田さん夫妻が付き合いのあるクラフト作家の作品が並んでいる。
漆の魅力を窪田さんは「耐水性に優れていて、手に持つ肌触りも柔らか過ぎず硬過ぎない。長い間使っていると色や質感が変わってきて、さらに輝いてくる」という。加えて「軽いのに割れない」というのも魅力のひとつかもしれない。「これからも研鑽を積んで、より多くの方に楽しんでもらえるような作品を作っていきたい」と話す。